2010-01-01から1年間の記事一覧

関山桜に平和を託されたジョセフ・C・グルー駐日米大使

「平和の桜」「グルーの桜」と呼ばれた桜の報道は 私のこころをとらえた。東京新聞2010.9.26付け朝刊の要旨は以下になろうか。1932年6月、駐日米大使として着任のジョセフ・C・グルーさんは、 日米開戦後も、日本との平和をねがい、大使公邸に 関山桜…

はなみずき の 朱実

今夏は 暑すぎて 熱中症で亡くなる人も多かった だが、 このところの 秋雨が降り続いて 木の実は 色ついてきた。はなみずき の 実は うつくしく色を染めている

エリザ・R・シドモア著『日露戦争下の日本』

エリザ・R・シドモア著 『日露戦争下の日本』小木曽龍/小木曽美代子訳 新人物往来社刊を 読書中である。日記体の作品である。当時の日本人を理解できるすばらしい書。 この、理解ができることでは、おふたりの訳者の丁寧な訳文から、伝わる。 訳者のごくろ…

阿部寛&ローリング20・ジャズ・オーケストラ

ポトマック河畔に桜を・・・の シドモア女史が活躍された時代、その時代の音楽 1910〜1930が聴けて今、帰宅。 いま、余韻にひたっている。興奮はさめない。夕方、ジャズオーケストラを聴きに 滝野川会館大ホールへ出掛けるときは それはそれは 土砂…

山川捨松 と シドモア女史 を考察

シドモア女史は、日本の桜の美しさに魅せられて、 故国のワシントンのポトマック河畔に植樹しようと大きな夢を抱いた。 その 実現の為に、シドモア女史は奔走されていた。 シドモア女史の夢実現法は 人脈を巧みにいかす手法であった、と私はみている。。 シ…

野方苗圃 を 考察する 2

幻の野方苗圃の所在について考察してきた。 私なりの見解を既にもうしあげた。 ●野方苗圃は大正9年(1920年)に設立され、昭和46年(1971年)に閉園されるまで、多種の樹木の苗が育成された。特に、ハナミズキ育苗功績は大である。では 現在の「江古田の森…

野方苗圃 を 考察する 1

歴史的な「野方苗圃」の所在を 東京都中野区役所の8階にある公園 道路 整備フロアーの11番窓口:公園係を訪ねておききした。 若い職員は、「野方苗圃ですか、きいたことはありません」と言われた。 ビョウホって、どんな文字を書くのですか、とも言われた。 …

日本さくらの会ら の シドモア女史墓参行

さすが、と 私はおもった。。「シドモアさくらウオーク IN よこはま 2005 」を 神奈川県ウオ−キング協会(KWA)、 (社)日本ウオ−キング協会(JWA)、 日本さくらの会は 主催し、 シドモア女史を顕彰されておられた。この日、2005年3月27日(日)に 13…

荒川 と  ポトマック川 は  姉妹河川

『荒川 169キロのみちのり』(さきたま双書)の抜粋が、中野の木村さんからおくられてきた。うれしい情報であった。 荒川 と ポトマック川が 姉妹河川であるというのだ。 姉妹都市・・・は よく耳にするが、姉妹河川の存在。 尾崎行雄東京市長さんがアメ…

前野まさる教授  と  江古田の森

前野まさる先生に お会えできるとは思ってもみなかった。 人生って、このような出逢いに遭遇することもあるので、嬉しいかぎである。 今月の8月15日(日本敗戦の日)、午後4時から3時間ほど、中野区沼袋地域センターで「森の学級」があります。来ませんか…

松本清張通り

YOKOHAMA に ハナミズキ通り が見つからなっかったことは、おしい、と、私はつぶやいたが、 九州の小倉には 松本清張通り があった。 清張の地元の人たちの人間観、 顕彰するこころ意気に 私は感激した。小倉城の一角に建つ清張記念館で1時間ほど 見学させ…

  吉野ヶ里 と ハナミズキ並木

吉野ヶ里遺跡を見にでかけた。 佐賀駅から吉野ヶ里駅へ向かう。 吉野ヶ里は 神崎駅で下車を の宣伝をみて 一瞬迷ったが 私は次の 吉野ヶ里駅で降りることにした。 正解だった。 遺跡の見所は吉野ヶ里駅寄りにあったから、正解。 それでも駅から、500メー…

井の頭自然文化園 と 花水木

8月6日、広島被爆65年の日に 中央線の吉祥寺駅をめざした。 駅から歩いて 9分ほどで井の頭恩賜公園に着いた。日米親善の花 ハナミズキは、この井の頭自然文化園で守られていた。 井の頭自然文化園の正門を入ると、 左側は 北村西望の彫刻館、野口雨情の…

渋沢栄一翁 と 新渡戸稲造

シドモア女史と新渡戸稲造夫妻は親密な間柄であった。 桜をアメリカの地に咲かせよう の運動で、新渡戸と同志であった。シドモア女史は、アメリカ合衆国の議会が日本人排撃の移民法を通す事に抗議をしていた。遂に己の意思表示から スイスに移住したと伝えら…

尾崎行雄記念館

1960年に国会議事堂の近くに 尾崎行雄記念館がつくられたが、1972年には 会館の名称は変えられて 「憲政会館」と呼ばれることになった。 この憲政記念館の中に 尾崎行雄記念財団は間借りをしているようです。尾崎行雄記念館がつくられるときいて、ワシ…

横浜市 と ハナミズキ

尾崎行雄東京市長がアメリカに桜を贈り、 その返礼にハナミズキが届けられた話は、あまりに有名。横浜にも、似た話があった。横浜はバラをアメリカに贈った。 その返礼にハナミズキが届けられたという話しである。 では その横浜のアメリカハナミズキは 今、…

潘国連事務総長、ルース米大使の広島訪問を     歓迎します

潘基文(パン・ギムン)国連事務総長 ルース駐日米大使 の 8月6日・ヒロシマ平和記念式典、ご参列を歓迎します。先ほどの TVニュースによると、 広島平和記念資料館元館長さんは、ルース駐日米大使さんのことで「謝罪しろとはいわないが、亡くなった被爆者に…

岩淵文人さん と 花水木

岩淵文人さんは、コツコツと東京都中野の地元史を掘り起こされてきました。岩淵文人さんは野方苗圃のハナミズキを追跡調査されて、『ハナミズキ覚え書き』を残されました。これは貴重な冊子です。 岩淵文人さんがハナミズキの探究をされておられた頃、中野区…

ディビット・フェアチャイルドさん と 五色桜

ディビット・フェアチャイルド博士は日本にこられたおり、荒川堤の五色桜を観て、その美しさに感動。ワシントン近くの自宅庭園に、日本の桜 数拾種を試験的に植樹、桜を咲かせる取り組みを始められた。 1904年、見事に咲かせることに成功。 博士の友人で…

東京の野方苗圃の功績

東京の中野区野方に 12000坪の広さをもつ野方苗圃があった。 現在の中野区江古田3丁目の江古田の森 と 隣接する北江古田公園が苗圃エリアであった。野方苗圃は大正9年(1920年)に設立され、昭和46年(1971年)に閉園されるまで、多種の樹木の苗が…

上野真城子さん と  峰与志彦さん

「ハナミズキを愛した人:峰さんをしのんで」 2007年3月 上野真城子さんの哀悼文をネット検索で拝見したことがあった。 上野真城子教授の哀悼文を今回、あらためて拝読した。というのは、夕べ、中野ハナミズキの人たちと呑んでいたときの話に、上野さんの父上…

新渡戸稲造さん と ポトマックの櫻

新渡戸稲造さん かつて日本紙幣に写真がのったお方なので、 思い出される方もおられるかも・・・。 新渡戸稲造さんは 東大受験のときに 「われは 太平洋の 懸け橋とならん・・・」と言われたと伝えられています。 その初心は ポトマックに櫻を咲かせたいという…

山川捨松さん と 日米親善の櫻

山川捨松さんを考察する●山川捨松さんは米国留学生としてアメリカの大学を卒業された日本最初の 女性であったこと。 ●津田梅子さんは、津田塾大学の隆盛も之あり、米国留学といえば津田梅 子・・と歴史的な評価がされているが、津田塾の前身、「女子英学塾」を…

中野はなみずきの会 

東京の 中野はなみずきの会は ついに ホームページをたちあげた・・・とうれしい うれしい たより。8月1日には 正式に オープンになるらしい。 その日は 花火を打ち上げて お祝いしよう。中野区内には 野方苗圃があった。 そこにはアメリカから贈られた友…

五色大橋 と  五色橋

東京の北方には 五色大橋がある。 之は かつての荒川堤桜の名勝 五色桜に由来している。 一方、 五色橋がある。こちらは東京の南方にある。 築地の方角から 首都高速1号羽田線の海岸通りを走って行くと そろそろ東京海洋大学が 近くなるころに、 五色橋北詰…

恵明寺(足立区江北2丁目) の  花水木

恵明寺(えみょうじ)には 花水木がある。 ハナミズキはそもそもアメリカから桜の返礼で日本に贈られたのが渡来の始まりである。 「それを東京から二本 戴いた」 と ご住職の石井嶺誉さんは言われた。先代からの伝言なのだろう。 荒川堤の五色桜へのお礼で 花…

日高畩千代先生

日高畩千代先生の教え子に 東京の副知事がおって、 荒川の五色桜を復活させようと、副知事にも働きかけたもんです。 私らが朝飯をくおうとしてるときでも、 客人がおっても、日高先生がこられれば、〈父重誉住職の〉恩師ですから、丁重に応接しなくちゃなら…

エリザ・シドモア女史の願い・・・桜をアメリカへ

Eliza・Ruhamah・Scidmore エリザ・シドモア女史は日本の桜の咲くさまに、〝騎士道〟をかさねて観られた。 この さくら花を 是非、アメリカ人に伝えたかったシドモア女史。エリザ・シドモア女史は 日露戦争で乃木希典将軍がとった捕虜扱…

五色桜 と  大門高子さん

作詞・脚本家 大門高子さんは 鹿西小の教諭時代、職場地域の文化を掘り起こされて 組曲『五色桜』の創作をされた。五色桜のもつ 平和への メッセージに 深く共感されてのことのようだ。文化庁助成のミュージカル『王子の狐 ねがいの石』脚本:大門高子 作曲…

日米親善・・・・先覚者・渋沢栄一翁

1927年、3月3日 アメリカからの人形大使13000体ほどを迎えて 盛大な歓迎会がもたれた。その席には 渋沢栄一翁のやさしい笑みすがたがあった。その後、かなしい日米戦争が始まるや、人形大使13000体ほどは 過酷な運命をたどる。 アメリカから贈ら…