前野まさる教授  と  江古田の森

 前野まさる先生に お会えできるとは思ってもみなかった。
人生って、このような出逢いに遭遇することもあるので、嬉しいかぎである。

 今月の8月15日(日本敗戦の日)、午後4時から3時間ほど、中野区沼袋地域センターで「森の学級」があります。来ませんか、と 玉置さんから お誘いをうけた。
昼間は、江古田の森の観察会があったが、そちらは、私は都合がつかず、4時からなら、なんとか参加したいと思った。

 会合の部屋に飛び込んで、ハンカチで汗をふきながら出席者を見回した。
あれ、もしや、前野まさる教授ではなかろうか、と驚いた。

 司会の玉置さんは、前野まさる先生や千葉大大学院の小畑晴治先生、そして順番で 私に、簡単な自己紹介をと 促された。

「私は、前野まさる先生にはお初にお目にかかります。実は先生には論文をかきましたおり、前野先生のご研究から引用をさせていただきました。お世話になっております。」と、まず、ご挨拶をもうしあげたのだった。

 私の論文とは 「集合住宅とコミニュテイ」の探究であった。

〈 吉野正治は、安心安全のまちづくり五原則をあげている。
〔災害にたいして100%安全なまちづくりの処方箋というものはありません。しかしできるだけ被害の少ない、復旧の早いまちにすることは可能です。以下に安心・安全なまちくりの五原則をあげてみました。
①だらだらとひろがったまちでないこと。
②わかりやすいまちであること
③自立性を高めること
④地域コミュニティが確立していること
自治体の防災計画をよくしっていること。〕
【吉野正治著『市民のためのまちづくり入門』、2000,49頁】

防火防災に強い町をねがい過ぎて、地元住人のコミニティを壊してしまっては元も子もなくしてしまう。なにごとも、兼ね合いが大事なのである。それには衆知を集めること。第三にかかげることは、住民参加の開放性のあるまちづくりを保障することである。
本『住みやすい町の条件』に、「江戸のある町・上野・谷根千研究会」の事務局長 前野蕘(マサル)の下町発言が掲載されている。
〔人や建物が密集した空間で暮らしている谷中の人たちは、コミュニケーションを大事にしながら、個々のプライバシシーを守る知恵を代々受け継いでいることに気づきましてね。たとえば、谷中には昔ながらのガラガラと開ける引き戸の家が多いんだけれど、戸が全部閉まっていたら、「今日は家に来てほしくない」、半分開いていたら「今日は訪ねてきてほしい」といったようなシグナルになっているとか、向かい合っている家同志で引き戸を空け放したとき、家の中が丸見えにならないように、玄関がずらして設計してあるという工夫が、谷中の町には溢れているというんです。〕【小林和夫編 永六輔ほか著『住みやすい町の条件』1991,64頁】
一瞥すると、下町はあけっぴろげで開放性のあるまちと見られているが、実は気遣いの心が下町の住まい方にはあった。下町の開放性のある住まい方は、隣近所、声がきこえることで、防犯に役立っているとの指摘もある。異常音はすぐ聞き分けられるからである。第四として、これら日本の住文化の知恵をいかすこと。これらを集合住宅に活かせぬ日本人ではなかろうが、と思うのである。
なぜ、閉鎖的に拒否して、コンクリートの塊を増産してゆくのであろうか。
防犯対策を急ぐあまり、アメリカでは今なにが起きているのであろうか。
米国のゲーテット・コミュニティ(要塞都市)は、国民を分裂状態にしているとの指摘がある。
〔ゲート内のコミュニティは専門職が管理する世界・・24時間の警備、プール、庭、コミュニテイホール、など・・〕〔ゲートの防犯は幻想でしかない。完全ではない。〕
〔都心の過密地区ではなんらかの方法で出入りを制限することが安全保障に必要であろう。しかしながら、ゲートがもたらすトータルセキュリティの概念は見せ掛けのみであり、殺人事件は外壁で囲まれた住宅地内でもおきているし、強盗や破壊行為の問題も変わらず続いている。〕【E・J・ブレークリー、M・G・スナイダー共著『ゲーテット・コミュニティ』2004,カバー】
日本の都市住民の閉鎖性と開放性を考察してゆくと、ゲーテット・コミュニティの日本版の壁につきあたる。この事態は重大な局面にあると思う。人間らしい都市空間をつくるには開放性のある下町文化に学ぶ必要がある。〉
と、
私は論述したが、前野まさる先生に教えられたことごとであった。

前野まさる先生は東京芸大教授として、キャンパス周辺のまちつくりに深くかかわってこられたし、
芸大の赤レンガ書庫、東京駅丸の内駅舎保存などにとりくまれてこられたお人である。
まさか、65年めの敗戦記念日に お会えできるとは・・・・。生きてるってことは いいことがあるものなのだ。
それも
日米親善の木・花水木を発信する江古田の森、「森の学級」(1999年から月1回の自然観察会)のメンバーさんだったとは・・・・。
この学級には、日本野鳥の会の吉邨氏もおられた。私ごとき若造が入会できそうもない、実力者ぞろいの会であった。
江古田の森 と 前野まさる先生。うれしい出逢いであった。