山川捨松 と シドモア女史 を考察

シドモア女史は、日本の桜の美しさに魅せられて、
故国のワシントンのポトマック河畔に植樹しようと大きな夢を抱いた。
その
実現の為に、シドモア女史は奔走されていた。
 シドモア女史の夢実現法は 人脈を巧みにいかす手法であった、と私はみている。。
シドモア女史日本滞在中には、山川捨松女史との接点があったに違いない、と私は推理してきた。

その根拠に・・・
シドモア著『シドモア日本紀行』講談社2002年刊。戸崎克久訳がある。その著書の171ページには、シドモアは捨松の存在を以下のようにしるしている。

〈現在、宮廷で活躍中の二人の貴婦人[大山巌元帥夫人捨松、瓜生外吉海軍大将夫人繁子]は米国バッサー大学[ニューヨーク州の私立女子大学]の卒業生です。〉と、
アメリカとのご縁のある貴婦人と捉えていることです。
積極派のシドモアさんのことです。
鹿鳴館の貴婦人の大山捨松(旧姓山川捨松)さんに
ご挨拶をしていたに相違ないだろうとみます。。
そして、桜の話をされただろう と思われるのです。

※山川捨松の親友アリス・ベーコンの著書を漁ってみよう。もっと、なにか つかめるかも・・・・。アリス・ベーコン女史の著書は、『菊と刀』の執 筆源になっているともきく。期待したい。