2011-01-01から1年間の記事一覧
ポトマックの櫻100周年は2012年なので、 あと数ヶ月で やってくる。当時の時事新報は アメリカで櫻植樹祭のおりに 高織教授作曲の「サクラ」「萬歳」が奏でられたと報じた。 この時事新報の記事は タカオリ教授、つまり、高織教授・・と報じたが、 私の調…
《 昭和に入ってから、櫻が一部の国粋主義者や軍部によって、悪用された記憶は、未だに生々しいものがある。 ついに太平洋戦争にまで拡大し、自他ともに甚大な 災禍を及ぼした・・・。》と相関芳郎氏は著書にのべられている。
桜の会趣旨・・・・初代会頭 渋沢子爵 以下をクリックされますと大きな画面になり判読いただけます。ワシントン桜功労者のダビット・フェアチャイルド博士は つぎのように「桜の会」を評価する。《 小生は「櫻の会」の如き団体によって過去幾世紀もの間日本の象…
荒川堤の五色桜 または 江北の五色桜 の 全盛期は 明治35年から10年間であった、と相関芳郎氏は云われる。 三好学博士の調査では明治35年頃には盛に開花するに至ったと みておられる。 明治の初め、荒川堤の損傷はいたいたしくなっていた。そこで 戸長…
ポトマックの桜は 2012年には100周年を迎える。その桜は 静岡県の興津(旧:清水市)で手塩にかけて育てられ 横浜港から 亜米利加へ渡った。 それらの桜苗は大陸につくやいなや、 ニューヨークとワシントンへ振り分けられて汽車で向かった。 ワシントンに向…
ポトマックの桜は間もなく 100周年をむかえる。シドモア女史が向島の桜をみていたく感激。その感動の気持が、ポトマックの桜に結実したことは有名なお話です。 最近、相関芳郎さまからお便りをいただいた。 相関さまは『東京のさくら名所今昔』を著してお…
『名誉都民小伝』によると、 尾崎行雄翁は名誉都民であった。以下、 昭和二十八年十月一日顕彰 尾 崎 行 雄 氏 (号 咢堂) 安政五年十一月二十日、尾崎行政の長男として生まれ、慶応義塾を中退し、 直ちに報知新聞に勤務し、二十二歳のときに新潟新聞主事と…
新渡戸稲造博士 と シドモア女史お二人のこころのふれ合いは 新渡戸稲造著 『武士道』と『日米関係史』の存在が 大きい。横浜のある御仁は ポトマックの桜と新渡戸稲造は関係はない、と主張されておられるが、 その認識は皮層的でしかないのではないか。『武…
ハナミズキのうた 作詞 天野花江 補作 中村メイコ一番の歌詞・・・ 春はやんわり ハナミズキ うす紅いろの ほほえみが わたしの街に いきいきと 肩をよせあって 咲きそろう 春はやんわり ハナミズキ四番の歌詞・・・ 冬はがまんの ハナミズキ やがてやさしい…
ポトマックの桜は 2012年に 100周年を迎える。ポトマック桜の返礼で アメリカ合衆国は 日本にハナミズキを贈ってこられた。このとき戴いたハナミズキを、私たちは原木とよびあっている。東京の中野ハナミズキの会は、 ハナミズキを讃える活動をされて…
1912年 日本の作曲家高織教授作曲の「万歳」「サクラ」が奏される、 当時の時事新報は報じている。が、高織教授・・・は解せない。日本の苗字を調べたが(高織)の姓はみつからないのです。これは、(高折)という姓ではないかと思われる。東京音楽学校50…
(出典:1912年の時事新報) アメリカの少女が13人 和服でおめかし 手元には日本の櫻 紅白のリボンがつけられたスコップ「サクラ」が奏でられる 快晴のニューヨーク公園 グラント将軍の 御霊前に 花を咲かせよう 1912年の春
はなみずき並木 の 紅葉・・・・東京の光が丘で
The "Betsy Ross" flag Another 13-star flag
間もなくポトマックの櫻は100年を迎える。ワシントンのポトマック河畔での植樹式は、タフト大統領夫人、珍田駐米全権公使夫人によって、記念の植樹がされた。 東京市から贈られた桜の苗木である。それは、見事に咲いて、咲き継いで来年100年を迎える。…
日米友好のポトマック桜を考察してゆくと、タフト大統領夫人Helen Herron Taft の来日は大きな意味があることが解ってこよう。夫のウィリアム・ タフトが陸軍長官時代に、同伴で来日(1905年7月)しておられる。日本側の接待ぶりでは、最高の待遇の、皇…
日米友好のサクラ、ポトマックのサクラを考察してくると、 桂・タフト協定を、忘れることができない。 フリー事典のWikipediaから、以下に転記してみよう。《 桂・タフト協定 - Wikipedia 概要-協定の内容-背景と結果-韓国における反発 ... であった桂太郎と…
ポトマックのサクラ100周年を間もなく迎える。 この、アメリカに桜を咲かせたのは 高峰譲吉博士が咲かせた・・・と主張のひとがいる。 一面の正しさはあろうが・・・そのように言い切ってよろしいのであろうか。私は、歴史はしっかりみつめてほしいと思っ…
エリザ・R・シドモア女史 と 大山捨松女史の接点を 私は探究してきた。津田梅子さんの女子英学塾(のちの 津田塾大学)の理事を大山捨松女史はされていたこと。新渡戸稲造さんは女子英学塾の顧問をされていたこと。お二人の接点から、シドモア女史の一途な望…
ポトマックの桜100周年を迎えるにあたり 田中長三郎さんの存在を忘れてはならないだろう。時のお上から 「派遣」されて、アメリカ農務省に席をおき、 ワシントンの桜守りをされたことの功績である。その「派遣」には、日本の反省がこめられていたのではないだ…
まもなく、尾崎行雄東京市長がおくられた桜は 100周年を迎える。アメリカは、100周年を記念し、ワシントンの桜を記念切手にして発行する計画とある。さすがアメリカ合衆国ではないか。ところがワシントンの桜は、順風にポトマックの桜名所になったわけ…
日米親善の桜 & ハナミズキを 私は探究している。その過程でアリス・ベーコン女史に辿り着いた。 明治時代、文明開化が推進されたおり、 〝鹿鳴館の貴婦人〟といわれた大山捨松さん。捨松さんはエリザ・R・シドモア女史と接触があったのではなかろうか・・…
桜100年、ハナミズキ100年に向けてご活躍の 菅野光公さん、菅野さんの著書『じっと我慢のハナミズキ』(2003年、石油文化社刊)によると、菅野光公さんは 1945年 和歌山県生まれ。 1969年 京大卒業、日本石油入社。 2001年 京大大学院エネルギー科学研…
ハナミズキは日米親善の花木、間もなく渡来100年を迎える。ハナミズキの並木道、公園などを 探訪していると、 都立園芸高校の校長千谷順一郎さんの功績をおもう。 初代校長の熊谷八十三翁に続くほどの人物のようにおもわれる。 ハナミズキ中興の祖といっ…
『アメリカに桜を咲かせた人たち』は 横浜市在住の石田三雄氏の冊子である。著者のご本人が綴じて造った手造りの冊子。在庫は残念ながら無い。 出版社に持ち込んでもみたが、難しかったそうだ。つまり、相手にされなかった。(専門書とでもみたのだろうか。…
東京は下町の 入谷の朝顔市は有名である。今年は 東日本の大震災の影響で中止となったようだが、 明治時代に来日のシドモア女史は 入谷の朝顔苑にでかけておられた。 また、団子坂の菊人形見物にもでかけておられた。シドモア女史は世界に日本の 〝TSUNAMI〟…
2011年8月6日の雲取山荘音楽祭にでかけることにした。 音楽は良いものだ。大震災直後、私たちはアメリカから頂いたハナミズキの音楽会を東京で成功させた。 私は雲取山の山桜も大好きで、5月の登山もしてきた。 日本の桜はワシントンのサクラとなって…
ついに 見つけた
渋谷駅から 文化村通りへかの有名なユーロスペースに向かって歩いてゆくと文化村通りはハナミズキの並木道であった。 花が咲いたときに歩いてみたい通りです。