山川捨松さん と 日米親善の櫻

山川捨松さんを考察する

●山川捨松さんは米国留学生としてアメリカの大学を卒業された日本最初の
女性であったこと。
●津田梅子さんは、津田塾大学の隆盛も之あり、米国留学といえば津田梅
子・・と歴史的な評価がされているが、津田塾の前身、「女子英学塾」を支え たのが山川捨松さん、勝海舟らであったこと。
●なぜ、「女子英学塾」を山川捨松さんは支えたのか。津田梅子らと一緒に米国 留学をした同志であったこと。
●山川捨松の父は、会津藩が官軍に敗れた折の家老であった。捨松は国破れる 痛みを知っていたこと。家老の父、白虎隊員の兄らの苦しみを知っていたこ と。
●さらに、敗れた会津藩流刑地とも見做される東北の北のはずれのtonami藩 に封じられ 地獄をしる女性であったこと。
●捨松さんは、お見合い話に、当時としては非常識なことの 彼とのデートを 実行して伴侶ときめられたこと。このことは、アメリカ流的ではなかろう  か。彼 は 会津藩を滅ぼした薩摩出身の軍人であったが故に 親は困った お見合い話だったのだ。それを彼女はデートで判定し ゴーの決断をされ  た。
●このような捨松さんならば、日米親善に櫻を、のお話に かげながら応援し ただろうことはあり得よう・・・・と私の仮説である。

 捨松さんの人間性なら あり得よう。もっと歴史的にスポットライトが当て られて良い人物ではなかろうか。『不如帰』の悪役モデルではかわいそう 
 だ。力ある作家よ、仮説も含めて よろしくお願いします。