新渡戸稲造さん と ポトマックの櫻

新渡戸稲造さん 
かつて日本紙幣に写真がのったお方なので、
思い出される方もおられるかも・・・。
 新渡戸稲造さんは 東大受験のときに
「われは 太平洋の 懸け橋とならん・・・」と言われたと伝えられています。
その初心は
ポトマックに櫻を咲かせたいというシドモアさんの願いに協力することになった。懸け橋役を果たされたと思います。
 新渡戸稲造さんは日本の女子教育にも熱心でした。
津田梅子さんの女子英学塾(のちの津田塾大学)や河井道さんの恵泉女学園などを支援されたのでした。大山捨松さんも女子英学塾を支援してこられましたから、捨松さんと新渡戸稲造さんの接点は大いに考えられましょう。
大山捨松さんはアメリカで学士号を取得されていましたから、新渡戸稲造夫人のメアリーさんとは御会いなされたなら、英語で流暢に会話をされてたはずでしょう・・・・。
 捨松さんは〝鹿鳴館の華〟といわれた貴婦人。