ディビット・フェアチャイルドさん と 五色桜

ディビット・フェアチャイルド博士は日本にこられたおり、荒川堤の五色桜を観て、その美しさに感動。ワシントン近くの自宅庭園に、日本の桜 数拾種を試験的に植樹、桜を咲かせる取り組みを始められた。
1904年、見事に咲かせることに成功。
博士の友人で同僚の合衆国農務省役人のチャールス・L・マーラット博士もまた、自宅に桜を咲かせることに成功。
二人は、1909年(明治42年)にお花見を計画。桜の夢を語って尽きないエリザ・シドモア女史も当然、招待。
ワシントンに桜を咲かせよう、の夢にむかってゴーサインの日となった。
 招待客の中には駐米日本大使館の高平大使をはじめ、参事官や書記官。そしてニューヨークの総領事もおりました。民間からは高峰譲吉夫妻、新渡戸稲造夫妻も招かれていた。
新渡戸夫人のメアリー・エリキントさんは尾崎行雄夫人とは友人関係でしたし、エリザ・シドモア女史はタフト大統領夫人のヘレン・ハロン・タフトさんとは友人関係でした。これらの人脈はのちに大きな力を発揮した。
先を見通した布石だった招待客のつどいでした。主催者の期待どおりに話は弾んだのです。

 物事は、初めは一人の願いから始まる。エリザ・シドモア女史の桜を愛する強い願望、USA に桜を は実現へむけて、一歩も百歩も前進しました。
日米人が結束し連帯して行動開始をした記念すべき日となりました。

 日本文化を高く評価するエリザ・シドモア女史は、友人のタフト大統領夫人に手紙をしたためたり、電話をされたり、直に会いにもゆかれて、桜へのおもいを伝えたのでした。ディビット・フェアチャイルド博士は、尾崎行雄市長に、タフト大統領夫人が発起人となり‘日本の桜をワシントンに植えよう'の運動を始めていることを、伝えたのでした。
 それらの熱い念いが、希望が、夢が、尾崎行雄東京市長のこころに響きました。

日米の多勢の人たちのサポートがあって、日米親善の思いを託した桜は
百年近くも続いて
人々に愛され、お花見の楽しさを味わってもらえているのです。