恵明寺(足立区江北2丁目) の  花水木

恵明寺(えみょうじ)には  花水木がある。
ハナミズキはそもそもアメリカから桜の返礼で日本に贈られたのが渡来の始まりである。
「それを東京から二本 戴いた」 と ご住職の石井嶺誉さんは言われた。先代からの伝言なのだろう。
荒川堤の五色桜へのお礼で 花水木は恵明寺さまに配られたのだろうか。

 その‘原木'らしい話に、私は胸が高鳴った。
「ところが枯れてしまった。これほどの幹の太さだった。」といわれて両の手で輪をつくった。随分と太い。直径30センチもあろうか。
「うちは、東京大空襲、昭和20年4月14日の空襲でみんな燃えました。焼夷弾が34発、落ちました。」私の記憶違いで36発だったかもしれない。足立の江北、小台、宮城地域も焼夷弾攻撃をうけていたのであったか・・・。
「あそこに日産化学(北区豊島の隅田川ぞい)がありましたから、それが狙われて、うちの寺が焼かれたとおもう。」
 取材の私は、伽藍も焼け落ちたのなら境内のハナミズキも 類焼したな、と思った。つらくて、その問いはできなかった。「焼け残って、芽吹いて・・」、「80年はもったかな・・」といわれて、同席の奥様に同意をもとめられた76になられる嶺誉ご住職。
よくぞ、80年も生きてくれたものよ。花水木守りの恵明寺様に感謝したい。
 「五色桜は、戦時中も戦後も薪にされた。橋の欄干ですら、薪にされた。電信柱も、薪にした者がいた・・・・・」。「おめいたち、薪にしただろう、っていってます。」ご住職は勝海舟のようにズバズバ言われる江戸弁のお方と私は思った。先代の老師重誉さまも、嶺誉ご住職のようでございましたか、と私は奥様に問うた。にこにこ笑みをたたえられながら頷かれた。

戦争は人間のこころを荒廃させるようだ、と私は思った。ハナミズキは敵性の木だ、と伐採されたのもあったとつたえられる日本で、寺も焼かれたのに怨むこともせずに、「敵性の木」を育ててこられたご住職。私は感動した。仏道を歩まれるお方の真の姿をみる思いがした。
 
「最近『江北の五色桜』(代表:浅香孝子)を貰った。この本の欠点は、わたしがしゃべったところ、なぜ、五色桜が絶滅したか、カットされておる。ほかは、よくできている本だが・・・」と言われたご住職。
 私がのぞきみると、清水一夫さんからの謹呈本であった。近くの電気店主さんとのことであった。


玄関口の枝垂れ桜はまだ樹齢10年とのことだが、育ちはよかった。花水木の‘原木'も それで、太かったのだろうか。良い土壌の風水の土地柄なのだ。