桜100周年で ワシントンの桜が記念切手に・・・
まもなく、尾崎行雄東京市長がおくられた桜は 100周年を迎える。
アメリカは、100周年を記念し、ワシントンの桜を
記念切手にして発行する計画とある。
さすが
アメリカ合衆国ではないか。
ところがワシントンの桜は、順風にポトマックの桜名所になったわけではなかった。
菅野光公著『じっと我慢のハナミズキ』』(2003年、石油文化社刊)によると、
試練は幾度もあった。
●1928年の洪水でポトマック河の水位が長期間上昇、約300本の桜が枯 れた。
●1938年、ジェファーソン記念館の建設計画地にかかる桜358本の伐採 が持ち上がった。大多数のワシントン市民が伐採計画に反対、大統領に直訴 したり、伐採作業が開始されると、桜木に己を縛り付けて、抵抗した女性も おり、最小限の88本だけで、「日本の桜」を守った。
●パール・ハーバーの奇襲後、反日感情が高まったが、「日本の桜」は守りぬか れた。
私の調査では、桜を守れのデモもおこなわれたそうだ。
※ワシントンでは米国農務省の技師スウィングル博士や同省に日本から派遣さ れた田中長三郎氏など多くの桜の育成に情熱を注いだといわれる、と
菅野光公教授は伝えておられる。
多くの人たちのご努力で桜はまもられてきた。
ポトマック河畔のさくらまつりは、
1954年に東京都知事が贈った石燈籠にサクラの女王が点灯をされて始まるのが恒例とのことである。
この燈籠には、慶安4年(1651年)の刻銘がある、とワシントン桜まつりの委員をされた菅野光公さんのお話しである。