新渡戸稲造博士 と シドモア女史

新渡戸稲造博士 と シドモア女史

お二人のこころのふれ合いは
新渡戸稲造
『武士道』と『日米関係史』の存在が
大きい。

横浜のある御仁は
ポトマックの桜と新渡戸稲造は関係はない、と主張されておられるが、
その認識は皮層的でしかないのではないか。

『武士道』と『日米関係史』は、どちらも英文で公表された。
シドモア女史は 読了して
いたく感銘。

日本人への理解を深めたのである。

そのことは、日本人が好む桜にいっそう仮託することになったとみる。

桜の美しさだけに見惚れたのではないのです。

桜に
日本人のこころを精神みたのです。

アメリカに移植をしたくなる情熱が
益々燃えさかったのである。

シドモア女史は執念を燃やして
アメリカに桜を移植させた。が・・

「排日移民法案」がもちあがるや、批判し、ついには
アメリカからスイスへ
〝亡命〟を
された硬骨の女性であった。

崇高の人道主義の女性であった。
人種差別に反対の
シドモア女史であった。

横浜の外人墓地にシドモア女史の
納骨のおり
新渡戸博士が代表して弔辞を捧げられたことは、
当然の人選であったのです。シドモア女史をもっともしる博士であったればこそ、ふさわしい弔辞の人であった。

※参考書・・・・・2001年9月刊(財)新渡戸基金・・・
新渡戸稲造研究大0号発刊記念特集号の
『悲しき太平洋の橋の友情  −新渡戸博士とエリザ・シドモア女史−』