海をわたった桜・・・植樹祭で演奏された曲を考察

ポトマックの桜は
2012年には100周年を迎える。

その桜は
静岡県の興津(旧:清水市)で手塩にかけて育てられ
横浜港から 亜米利加へ渡った。
それらの桜苗は大陸につくやいなや、
ニューヨークとワシントンへ振り分けられて汽車で向かった。
ワシントンに向かった桜は今、ポトマックのサクラとして世界的な名所になっている。が、そのときの植樹祭は質素といえようか。
 ところが、ニューヨークでは、盛大な植樹祭が行われていた。
曲『さくら』、『萬歳』が奏でられたと、当時の新聞は伝えている。

 私は曲が国歌の『君が代』ではなく、『さくら』と『萬歳』が奏でられたことを考察してきた。
 選曲には、桜推進者のねがいが込められているようにおもえるのです。シドモア女史の願いもこめられているのでは、と思うのです。

とくに『萬歳』に注目したい。
『萬歳』は
日本の各地で祝い事の場合、奏でられる伝統があった。
とくに有名なのは 『三河万歳』かもしれない。
 ニューヨークに桜植樹をとおしすすめてきた中心人物は、
高峰譲吉博士であろう。高峰博士の庶民感覚が思想が反映して『萬歳』が奏でられたのではないだろうか、と考察する。国家主義(ナショナリズム)を排し、国際人道主義を希求しているのではないだろうか。

高峰博士はシドモア女史の初心をバックアップし、アメリカに桜植樹を実現させたひとりである。シドモア女史の、その後の人生は己の国が〝排日移民法〟をとおすことに反対、スイスへ「亡命」されたのではなかったか。
新渡戸稲造の思想に共感し、行動をされたシドモア女史ではなかったか。
 アメリカ合衆国に桜木を植える、その行動の根底に国際主義の芽生えがあるように思えるのです・・・・・。

植樹祭での選曲には、初心がこめられていたのではないでしょうか。

高峰博士が育った土地の『萬歳』の音色が、ニューヨークで奏でられた、と考察すると、なんと愉快なことか。

『萬歳』は日本の伝統文化であり民衆の芸能ではなかったか。
さて、『萬歳』は、日本の各地でローカル色豊かに含蓄して生きてきたことは、
小沢昭一さんが訪ねた道の芸・街の芸 ドキュメント『日本の放浪芸』(1999年12月 ビクターエンタテイメント社刊) で味わうことができる。

高峰博士が育った土地は・・・加賀藩の金沢、そして富山。
『加賀萬歳』の音色、リズムが演奏されたのであっただろうか。

小沢昭一さんの採収された祝う芸の『萬歳』を
以下に列挙し、
みなさまと共に考察できればと思います。

尾張萬歳・・・・・・・・愛知
三河(西尾)萬歳・・・・愛知
会津萬歳・・・・・・・・福島
●秋田(横手)萬歳・・・・秋田
●越前(野大坪)萬歳・・・福井
●加賀萬歳・・・・・・・・石川
●伊予(風早)萬歳・・・・愛媛
●伊六萬歳・・・・・・・・愛知
●豊後萬歳・・・・・・・・大分

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伊丹の著名な荒西様から ありがたいコメントを頂いた▽▽▽以下

荒西 完治 2012/01/13 20:18

ニューヨークの植樹式で演奏された高折周一氏作曲の「さくら」と「萬歳」とのことですが、さくらの楽譜は中野ハナミズキの会のY様からいただきました。そして「萬歳」ですが、わたしも気になっていたのですが、たまたまウィキペディアで下記のとおり「萬歳」でしらべたところヒットしました。

高峰譲吉博士の出身は高岡市で そだったのが金沢ですので加賀萬歳がもしやもしやと思った次第です。 もちろん加賀萬歳はどんな曲かよくわかりませんが、ニューヨークには当時高峰博士の事務所があったところでもあり、桜のパトロンとしては考えられるかなと思った次第です。

加賀萬歳出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』
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加賀萬歳(かがまんざい)とは、石川県金沢市に伝わる伝統芸能である。現在まで50余りの曲が残されている。

前田利家が、越前府中の城主だった頃、城へ年頭に越前萬歳を披露していた領民が、利家が金沢に移った後も金沢で行われるようになり、これに金沢の宝生流能楽者であった大石藤五郎が、能の所作、型を取り入れて完成した物である。

越前萬歳と大きく異なるのは、越前萬歳が、庶民の家の前で舞う門付け萬歳であるのに対して加賀萬歳は、殿様の前で舞う御殿萬歳であり、テンポが遅めである。