ポトマックのサクラ・・・・・ 東京市の努力・貢献
ポトマックのサクラ100周年を間もなく迎える。
この、アメリカに桜を咲かせたのは
高峰譲吉博士が咲かせた・・・と主張のひとがいる。
一面の正しさはあろうが・・・そのように言い切ってよろしいのであろうか。
私は、歴史はしっかりみつめてほしいと思っている。
東京市民をないがしろにしないでほしい、とも思う。
当時の
駐米の日本人外交官たちが、いかにこころをくだいたことか。
当時のアメリカ在住の日本人たちが
智慧をだしあったことか。
東京市の尾崎行雄市長は、アメリカに桜を贈ることになったが、
東京市民の諒承をとりつけられたことは、
大きな大きな努力であったとおもう。
それだけではない。
東京の帝国大学の教授たちも、
桜の苗木を健康にそだてるために
どれほど努力されたことか。
静岡県清水の興津園芸試験場の技官たちが
どれほど、精魂をこめて、桜の苗木をそだてたことか。
苗木をつくるにあたっては、兵庫県の伊丹のひとたち、東京は足立のひとたちの努力があったのではなかったか。