江北の五色桜の全盛期・・・・

荒川堤の五色桜
または
江北の五色桜

全盛期は
明治35年から10年間であった、と相関芳郎氏は云われる。


 三好学博士の調査では明治35年頃には盛に開花するに至ったと
みておられる。
 明治の初め、荒川堤の損傷はいたいたしくなっていた。そこで
戸長の清水謙吾翁が申し出て、堤が補修された。完成した荒川堤に桜を植樹することを郡長尾崎班象翁が主導、村人から募金をつのった。

桜苗は染井伝中の高木孫右衛門から購入することにした。
高木孫右衛門はご維新で没落した武士階級の屋敷庭にある名桜が荒れるにまかせている姿に胸をいためていた。
そこでこつこつと、里櫻を集めだしていた。その孫右衛門に戸長清水翁は目をつけ相談した。
78種の桜苗を植えることになった。
当時人気になっていた染井吉野苗を大量に植えることには、清水謙吾翁は反対であった。
荒川堤には多種の桜を花咲かせることになり、五色のごとく咲くさまから
五色桜と呼ばれるようになった。この五色桜の保護育成では地元の船津靜作翁の存在は大きい。
清水謙吾翁の見識の高さが足立区江北の地を名所にし、
ワシントンに桜を贈る名誉をえることとなった。
が、その後の歴史は五色桜を守りきれなかったのである。