100年前の米国櫻植樹祭で 高折周一氏作曲の曲 演奏

ポトマックの櫻100周年は2012年なので、
あと数ヶ月で
やってくる。

当時の時事新報は
アメリカで櫻植樹祭のおりに
高織教授作曲の「サクラ」「萬歳」が奏でられたと報じた。
この時事新報の記事は
タカオリ教授、つまり、高織教授・・と報じたが、
私の調査したかぎりでは、当時の音楽家に高織教授は見当たらなかった。

タカオリ教授のタカオリ姓は
高折であったことが、ご遺族への問い合わせで、ついに判明した。

美智子皇后さまのピアノ教師は高折宮次先生とつたえられているが、
その高折宮次先生(岐阜県出身)の叔父上でヴァイオリニストの高折周一さまがそのご本人であった。

高折周一夫人は東京音楽学校を中退した声楽家ソプラノの寿美子さん(明治19年6月1日生〜昭和36(1961)年 3月16日往生)。寿美子さんは岐阜出身であったことから、高折周一さんも宮次さん同様に美濃国こと、岐阜の出であったかも・・・。まだ、私は確認できないでいるが、その可能性は高いと推理する。



高折周一氏は結婚されて、夫妻で渡米し、
周一氏は作曲の勉強をされておられたとのことだ。
妻の寿美子さんはニューヨーク音楽院で学び、G・ファーラーに師事した。

寿美子さんは1911年(明治44年メトロポリタン歌劇場に出演された
とつたえられていることから、
1912年春のニューヨークでのサクラ植樹祭にむけて作曲された
ことは頷けられましょう。

2011年の大晦日
届けられた高折宮次教授のご遺族さまからのお手紙に、
(高折)周一氏は
元はヴァイオリニストでアメリカに渡り、作曲の勉強、「萬歳」と「サクラ」を作曲したようです。
との証言を得ました。
ご親戚でピアニストの井内澄子さんが記憶をされておられた。

 高折周一氏は作曲家、指揮者になられて帰国。日本で活躍されたと、
草森紳一のヴァーチャル記念館」は伝えている。


※足立の五色桜を探究されておられる大空桜子さまによると、
その楽譜は、セピア色した表紙で、東京文化会館の資料室に寄贈されていた、とのことです。音楽史上、重要な発掘です。ありがとうございます。
 私は、その楽譜探究では、石田三雄氏とおなじ高折宮次説をとり探求をしてきた。一時は、作曲ではなく五線譜に採譜をされたのでななかろうか、とも考えた事があった。植樹祭当時は高折宮次さんは東京音楽学校の生徒であったからです。ほかにも心にしっかかることがあった。それは時事新報の記事に
  日本の作曲家高織教授の手になった「萬歳」と「サクラ」といふ楽が奏せられる・・・とかかれた記事のこと。なぜあえて(日本人)と国籍を特定されたのか、そのことが、気になっていた私でしたが、なにしろ100周年は直近なので、がむしゃらに幻の楽譜を捜しまわった。
上野の東京芸大図書館、上野奏楽堂、聖徳大学の村井靖児教授、芸大作曲科卒の安藤由布樹先生、ヤマハ楽器店・・などなどにご相談して探究してきた。国会図書館も訪ねて、マイクロフィルムとにらめっこしたり、楽譜をさがしてきました。
その幻の楽譜が、2011年の大晦日に行方が知れた。
なんと、上野の杜の、東京芸大の手前の、東京文化会館に保管されていたとは・・・。
演奏ができれるならば100年ほど前の当時の音色を彷彿とさせてくれましょう。
 早速、横浜でシドモア女史を中心にする映画制作の監督:白井貴子さんにおつたえしたいとおもった。シンガーソングライターの白井貴子さんにお伝えしたいとおもった。白井さんなら、音楽の力をご存じの筈なのだから・・・。横浜の大内会長さんにメールをさせていただいた。
 
 高折周一さんに関する情報は「草森紳一のヴァーチャル記念館」に大層お世話になった。そこの円満字二郎さんの御発信された高折周一の件には大層たすかりました。お礼をもうしあげます。
 私は楽譜を確認できるならば、皇居の御前で演奏された邦楽の先生に、その曲の分析もお願いしております。
まぼろしの曲とのご対面をこころまちにしている。

 2011年は東日本大地震、大津波、フクシマでの東京電力原発メルトダウン・爆発では
泪する日が多かった私であった。が、
晦日にお届けいただいた高折宮次教授のご遺族さまからのご回答は
うれし涙であった。
ふかく深く御礼もうしあげます。