ワシントンの桜守:ローランド・ジェファーソン博士に感謝

さきほどの午後10時40分ころ、
NHKBS1夜10時ワールドWAVEトゥナイトで
★日米友好の証として日本から米 ワシントンに桜が贈られてから100年。。。。。が報道された。

ワシントンのサクラ100周年を明日27日に控えて、ワシントンさくら祭りが報じられた。
その祭りの陰で
あるサクラ守さんのなみなみならぬ貢献があってのことと知った。

私は、
ローランド・ジェファーソン博士、と急ぎメモをした。が、
正確さをもとめて、インターネットで検索してみたが、その恩人のお名前はみつからなかった。

ワシントンのサクラ100周年を迎えられるには、
植物学者:ローランド・ジェファーソン博士のご努力があってのことである。
100年の歴史のなかでは、
ポトマック川の洪水でサクラは被害をうける。記念館をつくるので伐採したい。日米開戦で反日感情が高まり切り倒され、〝日本は地獄におちろ〟と生々しい幹に落書きがされたことも起きる。
サクラは寿命で枯れだす・・・・などがあったようだ。

贈られた3000本のサクラは100本までに減る中、
挿し木に初挑戦してサクラを増やされたローランド・ジェファーソン博士の存在を
今晩のNHKワールドWAVEトゥナイトは伝えていた。
今後、アメリカ国内の50箇所ほどにサクラを植えてゆく計画とのことだそうだ。
戦時中は「日本の桜」といわずに「東洋の桜」といって守った話しには、感銘した。その知恵者ぶりに、感心した。

知恵者さま
サクラを守っていただき
ありがとうございました。

かつて、日本は親善のためにアメリカにサクラを贈った。
尾崎幸雄東京市長が贈った、と歴史はつたえるが・・・。
その幼いサクラを守ることでは、日本人:田中長三郎氏が海を渡ったこと、などなど、多くの人たちが守ってきたのであった。。

お名前は世間にあまり知られてないようだが、
ローランド・ジェファーソン博士同様に
サクラ100周年の3月27日には
田中長三郎翁も顕彰したい人物ではないだろうか。
返礼で頂いたハナミズキ原木から育苗された嶋崎幸吉翁も
顕彰したい人物ではないだろうか。

そして、
ワシントンにサクラをと奔走されたエリザ・R・ シドモア女史や
在米の邦人会にあって私財を投入されて奔走された高峰譲吉博士も
忘れてはならぬ人物でありましょう。

追記・・・3月27日、早朝、植物学者:ローランド・ジェファーソン博士について検索をした。すると、見つかった。
浅利政俊氏の著「クラーク博士と日米親善のオオヤマザクラ」に、ローランド・ジェファーソン博士のお名前が発見された。
ほぼ間違いはなかろうとおもうので、以下に引用させていただきたい。
北海道教育大学函館校の非常勤講師:浅利政俊氏にお礼を申し上げます。 

《 北日本,北海道,樺太(サハリン)などに自生するオオヤマザクラの種子が明治初期,クラーク博士により米国に導入された歴史的事実は長い間,日本の桜研究者は知らず,従って日本の文献には全く記載されていない。この事実を明らかにしたのは米国の桜研究者であり,次のようなエピソードがあった。
 解明の動機は昭和57年(1982年)5月11日,日本の野生種のサクラ種子を集めるため北海道に私を訪ねて来られた米国農務省国立樹木園調査室長ローランド・M・ジェファーソン博士(当時58歳)との出合いからであった。》

◎浅利政俊先生、お教えいただきましたお礼にひとことお知らせしたいことがございます。

本日3月27日は、ワシントンの桜100周年の日、記念すべき日でございます。
私は、数年間、この桜100周年にむけて探究をしてまいりました。

100年前には、ワシントンとニューヨークで桜の植樹祭がおこなわれました。ご存知のように、ワシントンではタフト大統領夫人、珍田大使夫人がお手植えされて、ひっそりとした植樹記念祭でありましたが、ニューヨークでは、盛大に植樹祭がとりおこなわれました。100年前の時事新報によりますと、、
そのときに演奏された曲は「萬歳」と「サクラ」。作曲は高織教授とのことです。
私は、作曲者を探究してゆくなかで、高織教授は高折の間違いだろうと推理し、高折宮次先生の線でさらに探究しました。
高折宮次先生は北海道学芸大学の教授をなさっておられた時期がございました。現在の北海道教育大学でございます。

さらに高折宮次説で探究を続けて、高折宮次先生のご遺族様から、作曲は当時、ニューヨークに留学中の叔父周一さま、とのご回答を得ております。
北海道教育大学とのご縁に感謝いたします。