苗木育成の名人・・・嶋崎幸吉翁
墓参のおりに、写真を撮って来たが、墓誌が判読できなかった。
それで、本日、再度、訪ねた。
昭和32年3月8日
精勤院慈耀日幸信士
と判読できた。昭和29年5月7日の新聞報道によると、
精勤中、2度、始末書を書いたそうだ。
一度は、3本のうち、2本もメタセコイナー(あけぼの杉)を盗まれたとき、
ニ度めは苗圃内にあった物置小屋に巣くった浮浪者がボヤをだした時。
苗木育成の名人といわれただけあって、40年間には数々の発明をされた幸吉翁とのことである。
私は墓守さんと、立ち話ののち、墓地を見回っていて、
なんと、なんと吉三郎さんの立派なお墓を発見した。ことさま、たかしさまのお名前もあった。最近では文子さまのお名前もあった。
皆様は鬼籍に・・・。
祖父は、吉三郎さんの葬儀にでかけていたと聞いているので、こちらの日蓮宗のお寺様を訪ねているのだろう。
本日は、想定外の出会いがあった。手をあわせてきた。