シドモア女史 と 「排日移民法」

 アメリカにサクラを咲かせよう、と情熱をそそいだエリザ・R・シドモア女史。そのシドモアさんは、ある法律の成立に反対、その問題点を指摘し、行動をされた。
シドモア女史の勇気ある行動は、1950年3月31日付け 朝日新聞天声人語」で
荒垣秀雄さんも指摘されていた。すでに前回のブログで紹介。

その法律とは、いわゆる「排日移民法」である。

「排日移民法」成立で、シドモア女史は意思表示としてアメリカを去り、スイスに転居。


気骨ある人道主義者のシドモア女史ではなかろうか、と 私は思っている。偏狭な愛国主義者ではなかった。


サクラのこころを心底から愛でられたシドモア女史ではなかったか・・・。
シドモア女史は、二度とアメリカには帰らなかった。映画監督のチャーリー・チャップリンが 二度とアメリカには帰らなかったと同じように・・・・。
スイスで亡くなられた。



排日移民法  (出典:Wikipedia百科事典)
《排日移民法(はいにちいみんほう)は、1924年7月1日に施行されたアメリカ合衆国の法律である。正確には1924年民法(Immigration Act of 1924)、またはジョンソン=リード法(Johnson–Reed Act)であり、日本人移民のみを排除した法律ではない。
この法律では、各国からの移民の上限を、1890年の国勢調査時にアメリカに住んでいた各国出身者の2%以下にするもので、1890年以後に大規模な移民の始まった東ヨーロッパ出身者・南ヨーロッパ出身者・アジア出身者を厳しく制限することを目的としていた。特にアジア出身者については全面的に移民を禁止する条項が設けられ、当時アジアからの移民の大半を占めていた日本人が排除されることになり、アメリカ政府に対し日系人移民への排斥を行わないよう求めていた日本政府に衝撃を与えた。》

シドモアさんのスピリットを讃えることとは、
ポトマック河畔のサクラを 愛でることではないだろうか。
シドモア櫻を大切にする道を。尾崎咢堂精神を顕彰する道を。秋葉忠利スピリットに賛同することではないだろうか。
    ※中野ハナミズキの会は、櫻100年に 
       ポトマック河畔の櫻祭り参加を計画している。