ハナミズキの原木・・・・興津の原木は枯死
ハナミズキの原木さがしの峰与志彦さんが
断定して良い原木のあるところは、
●東京大学理学部附属(小石川)植物園(東京都文京区)
●都立園芸高校(東京都世田谷区深沢)
●農水省果樹試験場・興津支場(静岡県清水市・・現在の静岡市清水区興津中町)
原木と思われるところは
●新宿御苑(新宿区)
●有栖川公園(港区)
●多磨霊園(府中市)
●井の頭公園(武蔵野市)
●浦野家(個人宅・世田谷区)
●神代植物公園(調布市)
今回、ポトマックのサクラ100周年を迎えるにあたり、取材をしてゆくと、なんと、静岡市の興津の原木は枯れてしまっていたことが判明した。ただし、二世は健在で 花が咲くとのことです。
▲興津支場はこのところのめまぐるしいほどの組織改革(構造改革)にさらされていた。
★★★アメリカに尾崎行雄東京市長が贈ったサクラは、興津農事試験場で育てられた。その返礼に、アメリカのハナミズキは、興津農事試験場にも植樹された。★★★
この歴史的な興津農事試験場。2011年の今日、
(農林水産省)独立行政法人農業・食品産業技術総合研究機構果樹研究所カンキツ研究興津拠点・・・と呼ばれている。
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興津農事試験場の変遷
出典:(独)農業・食品産業技術総合研究機構果樹研究所(以下「研究所」)のHP。抜粋でみてゆきたいとおもいます。理解しやすいよう、文字を太めにしたところもあります。お許しねがいます。
以下 に示します。
《 明治35年 6月(1902)
農商務省 農事試験場園芸部として静岡県庵原郡興津町(現:静岡県静岡市清水区興津中町)に創設。
大正10年 4月(1921)
農林省 園芸試験場として独立。
昭和13年 3月(1938)
青森県南津軽郡藤崎町に東北支場設置=>昭和36年12月(1961)盛岡市へ移転,
盛岡支場と改称。
昭和22年12月(1947)
本場は興津町から神奈川県中郡大野町(現平塚市)へ移転,興津は、東海支場と改称。
昭和39年 4月(1964)
長崎県南高来郡口之津町に口之津試験地開設=>昭和48年1月(1973)口之津支場として発足。
昭和48年 1月(1973)
園芸試験場から、そ菜・花き部門を分離し、果樹試験場として発足。
昭和52年12月(1977)
果樹試験場本場を茨城県筑波郡谷田部町(現つくば市)筑波研究学園都市へ移転。
平成 8年10月(1996)
興津・口之津両支場を統合し、カンキツ部として発足、興津総務分室及び口之津総務分室を置く、盛岡支場をリンゴ支場、安芸津支場をカキ・ブドウ支場に改称。
平成13年 4月(2001)
独立行政法人化に伴い、農業技術研究機構果樹研究所として再編、企画連絡室を企画調整部に、育種部を遺伝育種部に、栽培部を生理機能部に、保護部を生産環境部に、カンキツ部をカンキツ研究部に、リンゴ支場をリンゴ研究部に、カキ・ブドウ支場をブドウ・カキ研究部にそれぞれ改称、盛岡総務分室及び安芸津総務分室を置く。
平成15年 4月(2003)
市町村合併によりカンキツ研究部(興津)の住所が静岡県静岡市清水興津中町485-6となる。
平成15年10月(2003)
独立行政法人農業技術研究機構と生物系特定産業技術研究推進機構とが統合され、新たに独立行政法人農業・生物系特定産業技術研究機構果樹研究所として発足。
平成18年 4月(2006)
独立行政法人農業・生物系特定産業技術研究機構と独立行政法人食品総合研究所および独立行政法人農業工学研究所が統合し、新たに独立行政法人農業・食品産業技術総合研究機構発足。》
私は野方苗圃を、地元の区役所にでかけて尋ねたことがあった。担当の職員は知らなかった。
興津も、これだけ変わられると、さあ、興津農事試験場ですか、興津支場?
うーん、となりそうなくらい 戸惑ってしまわないだろうか。
歴史的な地名、名称などは、残すとか、記念碑でも建ててくれないと、時の流れに埋没しかねないのでは、と不安におもう。