荒垣秀雄の主張・・・日本に花水木の名所をつくろう

ハナミズキの考察をしてゆくと、荒垣秀雄著『季節の余白』( 朝日新聞社1971年刊)にであった。引用をお許しねがいたい。
                    以下
《花水木・・・中略・・・なぜこの花のことを書くかというと,ワシントン・ポトマックの桜と花水木とは日本・花の交歓の裏表をなすものだからである。
明治四十五年,東京市から米国に桜の苗木三千本を贈ったのに対し,その返礼として贈られてきたのがこの木,アメリカ・ドッグウッド(dogwood)である。

学名をCornus floridaといい,バージニア州の州花になっている。
それが大正四年渡来から半世紀にもなるのに,どうしたわけか日本ではあまり可愛がられず,この花のいわれや素姓を知る人さえ少ない。ましてポトマックの桜に比肩できるほどの“花水木の名所”も生れていない。

ハナミズキの花は五月の初めころに咲く。白と淡紅の二種類があり,葉の出る前の梢にほのぼのと咲きそろい,遠くから見ると霞のようにたなびき,白い光茫と見紛うので灯台木ともいわれる。白は自然性,ピンクは園芸種で山茶花の寂びと海棠の色っぽさもある。・・・中略・・・

タフト大統領時代の米政府では,日本の国花に対する返札にふさわしいものとして,アメリカの国民的な花木ドッグウッドをえらんだ。それを選んだ人,植物学者D‐フェアチャイルド博士は早くから二十数種の桜を大量輸入して,自邸に桜の園を造り入々に見せたことから,ワシントンに桜を植えることが決定的になったという奇縁の人である。そして大正四年五月,農務省のスウィング博士が米政府の使者として返礼の花水木の苗数十本と,種子数ポンドを携えて来日した。さらにフェアチャイルド氏からも送り届けられ,昭和十年五月に来日した,米国庭園クラブ会員百余名からも大量の寄贈を受けた。
ああそれなのにである。ワシントンの桜のように日本では花水木が大切にされなかった。
いまの国立中野療養所内の野方苗甫で苗を育てて方々に分配し,アメリカ側の希望で種からの実生を各地の学校にも配布したが,どこにも栄えなかった。日比谷公園の入口近くに一世の原木が二本あるが,見すぼらしいものだし,野方からの分家では井之頭自然文化園,神代植物公園多摩丘陵,浅川実験林などにそれぞれ数十本あるくらいのもので,心細い現状だ。
ちかごろになって,愛好家もふえて庭木にする人もあるので,植木屋もいくらかあつかうようになったが・・・。
それにしてもわびしい話である。こちらから贈ったポトマックの桜は米国民の丹精で世界的名所になっているのに,向うからプレゼントされた花水木は,広く愛されもせず,さびれた姿である。
これでは花の交換も一方交通というほかない。アメリカから「桜の女王」を迎えたり,こちらから「桜の女王」を送ったりするのも結構だが,それだけでは,“大きな忘れ物”をしている感が深い。
花水木の立派な名所を造ってこそ,花の親善も互いに花咲き実を結ぶというものだろう。日本の「桜復興運動」も花水本を忘れては片手落ちで,車の両輪として両方併行して栄えさせたいものである。ロータリー倶楽部などが一肌ぬいでみたらどうだろうか。》