五色桜 と  清水謙吾翁

清水謙吾翁
東京は足立の江北村・初代村長
戸長時代に
荒れに荒れる荒川堤に桜植樹をと
請願。
それは荒川堤沿いの農民たちの願いであった。寄付金があつめられた。
植樹をした。桜並木となった。
その桜並木は五色桜と絶賛されたが、
清水謙吾翁の願いは引き継がれなかった。
     桜は絶滅。
まぼろしの五色桜となる。

なぜ、引き継がれなかったのか。
この反省をぬきにして、五色桜よ、おらが邑の桜よ
と 浮かれてよいものでしょうか。

真に清水謙吾翁の精神を受け継ぐには
歴史から、学びたいものです。