朝日新聞「天声人語」に見る ハナミズキ考

渡来のハナミズキを考察してゆくと、
昭和25年(1950年)3月31日付けの 朝日新聞天声人語」を引用したくなった。詳しくは、朝日新聞社刊『自然』副題 天声人語十八年の歳時記の引用となります。
お許しねがいたい。
当時の、敗戦直後の日本人のハナミズキへの思いがみえてこないだろうか。ハナミズキ考察上、貴重な文とおもわれる。
                      以下


《ワシントンのポトマック河畔のさくらが咲く四月に尾崎卆翁が招かれて渡米するそうだ。このさくらについて古い新聞や文献を調べてみると,今から九十年ほど前の一九○九年,さくら移植を発案した人は,当時のタフト大統領夫人とシドモア女史だった

シドモアは非常な親日家で『人力車で日本を旅する』『へ一グ条約の命ずるごとく』など日本を紹介する著書を出し,排日移民法の成立した時アメリカを去ってスイスに行き,ジュネーブ新渡戸稲造宅で昭和三年七十二歳で永眠,遺骨は横浜の墓地に葬られている。この米婦人の話を聞いたタカジアスターゼの高峰譲吉博士が水野総領事や高平大使と相談し,日本から桜を寄贈することとした。尾崎氏が東京市長のころで苗木二千株を送ったが,虫がついていたのでサンフランシスコで全部焼き棄てられた。それから二年間農事試験所で細心の注意の下に苗を育て,明治四十五年二月,染井吉野一千株と八重ざくら,香ざくらなど十種二千株を送ったのだ。
リンコルンとワシントンの記念碑のある辺りに咲き乱れるさくらは,今の日本にも見られぬほどの壮観だそうだ。その花の下で酒をのんでのドンチャン騒ぎもないし,花の枝を折る人もないので,花は地や水にすれすれに咲き誇る。ニューョークのハドソン河畔リバーサイド公園にもグランド将軍の墓を中心にさくらがあるそうだ。
こここで注意を喚起したいのは,ポトマッグのさくらの御礼として大正四年から七年までの問に三回,北米特有の花水木(ハナミズキ)の白花,紅花の両種とカルミヤの苗を東京市に送ってきたことだ。またグランド将軍夫妻が上野公園に檜木と玉蘭とを植えた。これらが米国民の好意を生かして栄えているかどうか,その消息を知りたい。》

※グランド将軍とは、南北戦争のおりの北軍の将軍。
  桜の名所:東京都北区 飛鳥山 にもこられている。