井下清翁 と ハナミズキ

東京のハナミズキ並木を調査してゆくと
井下清、の存在が大きく迫ってくる。

井下清(1884年8月1日〜1973年8月8日)は
東京市の公園課長(のち、部長)、東京農大教授。

東京の街路樹、公園に ハナミズキ植栽を推進された先覚者と私はおもう。故に、敬意をはらい 井下清翁とおよびする。

井下清翁は、関東大震災を体験。清澄公園に逃げ込んだ東京市民1万人の命は緑が救ったことをしる。益々、緑地帯設置の大切さを実行されたのだろうし、育苗にも力を注がれた。
野方苗圃、羽根沢苗圃での育苗を すすめられた。

井下清翁は現代的にいえば、まちづくりの先覚者。墓地をあかるく公園風にされたのも翁。多磨墓地づくりの先覚者でもある。

井下清翁の部下に末田ます女史がおられた。
末田ます女史は井下翁が推進の日比谷公園の一隅に、児童公園をつくった。もちろん、上司の井下清翁の励ましがあってのことだろう。
児童文化の視点でみると、先覚者末田ますさんである。