『東京芸術大学百年史』に高折周一氏のお名前掲載

 2012年1月、上野の資料室で調査をしてきた。
ポトマックの桜100周年の今年、かつてアメリカでの植樹祭で高折周一作曲の「サクラ」、「萬歳」は奏でられたと100年前ほどの報道であった。

やはり、東京芸大の太先輩の作曲であったことが、資料室に保管された楽譜で確認された。残念なことは、「萬歳」の楽譜はなかった。
「サクラ」の楽譜と対面して感動のあまり手がふるえた。
私は高折周一夫人の寿美子さんが、ニューヨークの植樹祭で歌われた可能性は大と推理した。その楽譜には以下のサインがあったことからも、私は推察するのです。以下はその写し。

・・・・Cherry Blossom Sung by Ⅿme Sumiko・・・・の横文字がよみとれましょう。
これを読みますと・・・ 高折寿美子さんの歌うサクラ・・・と解釈できないでしょうか。
ここから私は、100年ほど昔、ニューヨークのサクラ植樹祭で楽器演奏だけでなく寿美子さんが歌われた可能性は大 とみます。
高折寿美子さんのソプラノの御声がいかされるように作曲はされておるのかもしれませんね・・・。
楽譜には  Arranged by B. S.TAKAORIとあった。この意味は・・・高折周一のアレンジによる曲・・・ということを記しておろう。さらには、
CHERRY BLOSSOM  つまり時事新報の報道の通りに「サクラ」の曲名であった。その曲名の下にはドイツ語で (PARTITUR)  と記されてあったことから、ニューヨークの植樹祭では、「合奏」されたのであろう。愛妻の歌声で日本のこころの歌サクラサクラをうたわれたにちがいなかろうと推察する。
楽譜の歌詞は英語であった。
Sweet cherry Sweet cherry  dim is the air of may loaded with
thy flagransu, Sweet cherry and as we wan der throngh thy flowerly
shade with friend Sweet cherry we shall talk about nought
but joyous spring

英語歌詞の下辺には カタカナでルビがふってあった。ご夫妻は英語は達者であるはずなので、帰国後の日本人用にルビをふられたのであろう・・・・。
帰国後は、東京市北豊島郡巣鴨町1881番地に高折周一さまご夫妻は落ち着かれたようである。楽譜の著者住所になっていた。発行所は神田区三崎町3丁目の音樂社(池田ひさ)。定価50銭。大正2年10月21日発行。注意書きがあって、日本の歌詞は筝曲「サクラサクラ」を用ふるも差し支えなし、とあった。

スウィ・・・・ト  チェーリィ スウィ・・・・ト  チェーリィ  
デイム  イズ ゼ エヤー  オブ  メエー  ローデエド ウイズ
ザイ フラグ・・・・ランス スウィ・・・・ト  チェー・・・・リィ
ア・・・・ズ  ウイ  ウオン・・・ダー
スロー ザイ  フラーワリイ  シェド ウイ・・・ズ  フレンド
スウィ・・・・ト  チェー・・・・リィ  ウイ シャル トーク
アバーウト  ノート  バート
ジョ・・・・・イアス  スプ・・・リン・・・・イン・・・・グ 




東京芸術大学百年史』(平成15年3月31日 音楽之友社刊 )に
高折周一氏のお名前が掲載されていた。
ということから、高折周一さんと妻の寿美子さんは
ともに東京音楽学校に学ばれていたことになる。


百年史の第4節889頁には
《   音樂第4巻第7號目次
樂譜明治天皇奉悼歌・・・・・・・・久保猪之吉謹作歌
                    榊保 三郎 謹作曲

口絵{ 歌劇『靈笛』の作曲されし家とモツアートの胸像 
   { ワグナーの生まれたる家
【ブログ投稿者注・・ワグナーのワ・・原本は ワに濁点があるワでした。】
聖靈奉弔・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(一)
雅楽及び神楽、催馬楽と聲明・・・・・・(二)・・・・・志田義秀
音樂教授法沿革史(二)・・・・・・・・・・・(六)・・・・・草川宣雄
學友會演奏雑感・・・・・・・・・・・・・・・(十一)・・・・・高折周一

・・・・・・以下略・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・》



百年史の第4節892頁には
《   音樂第4巻第十一號目次
口絵{ ネリー  メルバとヤン クーベリック 
   { 逝けるチェルロ大家ダヸット ポッパー
樂壇時評・・・・・・・・・・・・・・・(一)・・・・・同人
音響學及音響心理學上の學説研究(一)・・・・(二)・・・・・田村寛貞
樂律の構成法を容易に示す新案器械・・・・・・・(十三)・・・田邉尚雄
邦樂と洋樂(二)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(十九)・・・・乙骨三郎
・・・・・・・・・中略・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
答ふ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(五二)・・・・高折周一

・・・・・・・・・・・・・以下略・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・》