「ワシントン」 を 100年前は 「華盛頓」 と表記
尾崎行雄東京市長は、亜米利加の
「華盛頓」に桜を贈ることにした。
華盛頓=ワシントン
現代の日本人で、
華盛頓をワシントン とよめる人がどれほどいようか。
尾崎行雄を全国に発信する会会報2010,6発行vol.24によると
《 「桜木寄贈ノ件」が市参事会で議決 東京市においては、1909年(明治42)8月25日
「華盛頓市へ桜木寄贈ノ件」が市参事会で諮られ、即刻案件が議決。
翌日に、市長名で外務次官宛に通達。外務省は東京市が受託した旨を大使館経由してアメリカ政府に伝達。・・・・・中略・・・・・桜樹の種類と各々の本数は、
染井吉野600本、
里桜の都、南殿、紅普賢、朝日牡丹、大提灯、各200本。
御車還(みくるまかえし)、長州緋桜、曙、紫、各100本で 計1400本の合計2000本 》。
総重量は50トンであったとつたえられる。
この桜苗は横浜港から
日本郵船の「加賀丸」で出航。日本郵船は日米親善の趣旨に賛同されて、運賃をとらなかった、とも伝えられている。
太平洋をわたりきって、アメリカ大陸のシアトル港に12月10日に到着、のち、保冷設備の列車でワシントンに向かった。年もあらたまって
1月6日に目的地の華盛頓市に到着。
横浜港を出発して42日もかかった長旅であったが、
残念なことに検疫検査で失格。
病害虫があったことで、桜苗は全て焼却処分された。
※尾崎行雄を全国に発信する会・・・・事務局; 澤田さま
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