アメリカ合衆国のタフト大統領夫人・・・ポトマックの桜
ポトマック河畔の さくらは有名である。
第27代アメリカ合衆国大統領および第10代連邦最高裁判所首席裁判官の
ウィリアム・ハワード・タフト(英: William Howard Taft, 1857年9月15日〜 1930年3月8日)。
タフト夫人の ヘレン・ タフトさんが、
はじめの一本、桜の植樹をされた。
続いて 亜米利加駐日大使珍田捨巳の夫人が植樹。
ポトマック河畔の さくら並木成立のはじまりであった。
大統領夫人の存在、役割は大きかった。
シドモア女史はタフト大統領夫人と知り合いであったことから、日本のさくらをアメリカに・・と夫人に頼みこんだことも大きな力を発揮していた。が
タフト夫人が日本を訪問時に、桜の美しさに魅惑されていたこともあり、
シドモア女史の呼びかけに 即、共鳴できたのだろう。
アメリカにサクラ移植を、決意されたとおもう。
お二人のアメリカ女性の知性、決意、行動は、
桜並木をつくる上で 大きかった。
ポトマック河畔にサクラを咲かせることになったのである。
何事もいつの時代も、はじめは、ひとりの発意から始まるようだ・・・・。
花を咲かせた熱意が ことを成就させた。
※1905年、7月29日、訪日中のタフト陸軍長官は桂太郎首相と『桂・タフト覚書』を交わした。日本が朝鮮を保護国にすること、アメリカは フイリピンを領有することを お互いに認めあった覚書。この時の日本側通訳官は珍田捨巳。
植民地にされた韓国、朝鮮の人たち、フイリピンの人たちにとっては許せぬ 『桂タフト覚書』。