大山捨松・・・・日本最初の女子留学生

大山捨松(旧姓:山川)・・・・津田梅子と共に日本最初の女子留学生

 大山捨松とシドモア女史(桜をアメリカに咲かせる運動家)の接点を探究している私は、昨日、久野明子著『鹿鳴館の貴婦人 大山捨松』(1988、中央公論刊)を手にいれた。
入手の興奮から、真夜中にめざめてしまった。

英語を流暢にはなす捨松さんとシドモアさんの出合いがあったとするならば・・・・。
この接点を推理すると、とても楽しい。捨松さんは津田塾大学の創生期に梅子さんを支援し続けた女性。
実兄は東京帝国大学総長、九州帝大、京都帝大の総長もされた山川健次郎。もと白虎隊士。

捨松さんは、安政7年2月24日生まれで、大正8年逝去。(1860年3月16日〜1919年2月18日)。
捨松さんは会津藩の生き残りさんですから、戦争と平和を身をもって痛感されている人、と思うのだ。
ゆえに、シドモア女史の桜に託した友好、親善の思い、平和の思いを、もしも聞いておられるなら、助力せずにはいられなかっただろう、と私は推理する。
シドモア女史は、人脈つくりの名人と私はみている。捨松さんを見逃がすことはないだろう、とおもわれるのだが・・・・。