五色桜  と  三好学博士

尾崎行雄東京市長
アメリカに桜を贈るにあたり、
三好学東京帝国大学教授 や 東京は足立の桜博士こと舩津静作翁に
ご相談をされた と 伝えられる。

東京帝国大学植物学初代教授の三好学博士(1861〜1939)のご尽力で
荒川堤の五色桜は
史蹟名勝天然記念物法による
名勝の指定を得たのではあったが・・・・三春滝桜のように1000年を越す寿命どころか、

あっという間に 絶滅させてしまった。
草葉のかげの三好学博士に、顔むけできようか・・・・。

※三好学博士は小石川植物園の2代め園長。
※『野新田の桜草と三好学博士の話』大久保幸治著によると、
 》三好学(みよし・まなぶ)博士と云えば、荒川堤の桜の研究で有名な東大の先生として知られている。「江北小学校創立80周年記念誌」の180頁によれば、「桜の権威三好学博士が初めて船津(静作)氏に面会されたのは、明治36年4月24日であった。それ以来、毎年の花期には、ひんぱんにいつも払暁(ふつぎょう・夜あけ)に当地に来られ、堤上(高速道路川口線の下にある荒川堤を指す。別名熊谷堤)がまだ雑踏(ざっとう・人ごみ)しない間に、桜の調査を終わり、標本を採集して、帰宅せられるのが常であった」と
あります。
※三好学博士は、尾崎市長が贈った桜がアメリカで焼却処分されたことの相談を受けて、農事試験場を紹介されたのでは・・・。三好学博士は『日本天然記念物概説』を著すなどにみられるように、天然記念物の保護に尽力された。桜、ハナショウブ研究の権威者でもある。
天然記念物保存法成立に尽力。ドイツ留学では農事試験場の古在由直と同じ。いがいと、この共通さが、古在に白羽の矢を、となったのではなかろうか。