五色桜 と 佐久間象山


佐久間象山
象山の門弟に
坂本龍馬勝海舟吉田松陰橋本左内河井継之助など維新前後の志士が多い。松陰の米艦密航が失敗。その企てに象山がかんでいたとみられて、九年の幽閉生活。この幽閉時代に、桜の賦を詠まれている象山。その碑は東京都北区の飛鳥山に建立。私は現代文意訳を拝見し、おどろいた。

〝五色桜〟の出典源ではないかとおもわれるあたりを引用し、佐久間象山の詩を味わってみたい。〝五色桜〟の固有名詞の出典は、当時の国民新聞または朝日新聞記者の記事説がありますが・・・。
 私は佐久間象山説を掲げたい。
ご維新後、武士階級は失業。活字工、記者になる者が多かった時代である。教養人の記者たちは飛鳥山佐久間象山の『桜賦』碑を認識していただろうと推理する。とすれば、飛鳥山や各地の桜の名所の形容ばかりではなく、荒川堤・鹿浜や江北堤の桜を賞賛する形容として、象山に倣ったのではないだろうか。『桜賦』碑は明治十四年建立も頷けよう。碑と鹿浜、江北堤は指呼の間ではないか。それでは、現代文意訳。

〈また、雨が降れば降ったで、その雨に煙ったり風になびいたりして綺麗ですし、月に照らしだされた景色は、まるで、綾や錦を織りまぜたようで、

五色のいろどりが、

あたかも手のこんだ縫いとりそっくりであります。花の枝が風にゆられて、重なったり なびいたりすると、花はきらめいたり香りをただよわせたりするが、やがて夕闇が迫ってきて、うっとりした気分になります。        花の盛りが過ぎると、そろそろ散り始めますが、そのうちに雪のように降ってきて、地面をおおってしまいますが、これもまた絶景の眺めであります。〉
    (出典:東京都北区立郷土資料館調査報告第11号『飛鳥山の古碑銘』     小野磐彦著 1995年12月26日 北区教育委員会発行)