花水木 と 紫金草

花水木 と 紫金草の出逢い

峰与志彦さんは
花水木の原木調査で
小石川植物園に来られていた。
そこで
『紫金草物語』の作詞家
大門高子さんと出遭った。
偶然の出遭いのようにもみえるが
出合うべくして出会ったお二人ではないでしょうか。

ともに平和の使者の
花水木と
紫金草(花だいこん)に
熱中のお二人、意気投合されたことだろう。
その後の取り組みから 推察できる。

峰与志彦さんは紫金草の花も咲かせることになったのである。

※写真左は峰さんたちが、(江古田の森に紫金草の種を蒔く  南京郊外から 紫金山麓から来た「ピース フラワー」)と説明のある貴重な資料。

※写真右の説明は(現場での自警会責任者 回答  「みどりを大切にする」ことを第一に考慮  諸問題には、住民とのコミュニケーションを保ちたい。両者の現地視察は友好裏に終了.今後 両者のパイプ作りを確認できた。)とあった。
※写真上・・今回公開をしておりませんが、説明によると(8月4日 伐採された現地を中島明子さんと検証、怒りと情け無さ。8月8日 自警会に要望書を提出。)峰さんは欄外に手書きで以下の如くにしるされている。
 〈同文を 厚生大臣及び自警会々長にも提出〉
この頃、峰さんたちは、[旧中野病院跡地に関する要望書賛同者]の取り組みをされておられた。中野病院には、はなみずきの樹木があり、結核養療者を慰めていたことは、患者さんたちが書き留めておられる。
 峰さんの文脈からすると、はなみずきやヒマラヤスギなどの みどりの保存運動をされておられたのだろう。
地元住民のお名前記載をみると、中野はなみずき合唱団団長さんのお名前もみえる。さらには、前野さんのお名前も。前野さんといえば、もしや、東京芸大教授さんでは・・・。台東区谷中でまちつくりにも取り組まれておられる先生なのである。
                  注:自警会とは警視庁厚生課のこと。

写真資料のメモによると、 1997.8.30 報告者担当峰与志彦・・とある。日米友好のはなみずき調査をされた峰さんを知る貴重な資料である。



写真は紫金草(花だいこん)